人間国宝

三代 徳田八十吉 輝きを纏った色彩技法「耀彩」の世界

宝石の澄んだ色が表現されている(耀彩鉢・雷鳴)

三代 徳田八十吉

釉薬を帯状に塗っていくことで独特のグラデーションを創り出す

三代 徳田八十吉

電気窯で素焼きをし、その後磁器を磨きあげる

三代 徳田八十吉

少しずつ成分を調整した釉薬。色は何十種類にも及ぶ

三代 徳田八十吉

何種類もの筆を使い分け、慎重に描かれる

四季を映す梅ノ木山と郷谷川の流れ、美しい自然に恵まれた小松市金平町に三代徳田八十吉の陶房はある。段階的に色彩を変化させる独特の技法「耀彩(ようさい)」。この変幻自在の色の世界はどのようにして生み出されたのか。その作風に込められた思いとは…。

三代 徳田八十吉 三代 徳田八十吉

昭和8年(1933)小松生まれ。昭和33年第1回一水会陶芸部展に初入選、38年第1回朝日陶芸展及び第6回日展に初入選。日展には第11回まで連続して入選。46年18回日本伝統工芸展の初入選でNHK会長賞、52年24回展で日本工芸会総裁賞、61年第33回展で保持者選賞を受賞。平成9年重要無形文化財「彩釉磁器」保持者(人間国宝)に認定。

古九谷の色釉と西洋の抽象画との出合い

「耀彩は全く異質の新しいものではなく、古九谷をもとに生まれてきた表現のひとつ」と三代徳田八十吉。祖父の初代徳田八十吉が残した古九谷風の色彩や表現技術を受継ぎ、そこから生まれたのが「耀彩」だという。

「九谷焼の歴史は色絵の変遷の歴史といえるほど、その様式はさまざま。古九谷では花鳥風月が描かれた。九谷庄三は日本画を描いた。自分には何ができるだろうかと考えた時、西洋美術(抽象芸術・アブストラクト※)が浮かんだ。技法は古九谷そのもの。そこに私の色絵表現を加えたものが耀彩です」

古九谷を再現した初代、現代的作風に傾倒した二代と、それぞれ個性的な表現があったように、三代が絵付けで追求した抽象的な世界は西洋美術からの影響が大きかった。

※アブストラクト:目に見える世界をそのまま表現せず、自由な線・色・形などで構成した非具象的な芸術

吸い込まれるような宝石の輝きを表現したい

もうひとつ、意外なところからもインスピレーションを受けている。二十代の頃、宝石の澄んだ色と輝きに魅せられ、古九谷の色を使って宝石を表現したいと考えるようになった。成分を微調整した数十種類もの色釉を用い、グラデーションを創造。乱反射を防ぐ磨きの工程を丁寧に行い、輝くような光彩を生み出した。しかし、発表当時は作品を否定する声も聞かれた。

「こんなものは九谷焼じゃないといわれましたよ。しかし、色絵に秀でた窯に生まれたからには、形ではなく色彩の新しい表現を追求したかった。30歳を過ぎた頃から、まわりの反応は変化してきました」。耀彩は九谷焼の新しい技法として認められ、高い評価を受けるようになった。

ものづくりは創造、価値を決めるのは時間

若手作家にはよく次のようなアドバイスをするという。「新しいことをやれとはいわない。好きなことをやればいい」。さらに「アートは創造、その価値を決めるのは時間だ」とも。三代徳田八十吉の作品は、陶芸ではなく現代アートのカテゴリーで紹介されることも少なくない。それは「創造すること」をものづくりの根本にすえた考え方からすれば、自然なことかもしれない。「人まねではないものを創ることに意味がある」。信念を貫き、新しい道を切り開いた三代八十吉の言葉は、後に続く作家たちに大きな力を与えていくに違いない。

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