人間国宝

花と蝶が表現された作品。萌黄色の磁器に金色が映える(釉裏金彩牡丹唐草舞蝶大皿)

花と蝶が表現された作品。萌黄色の磁器に金色が映える(釉裏金彩牡丹唐草舞蝶大皿)

吉田美統

花、葉、茎など、植物のパーツ一つひとつが金箔で表現される

吉田美統

窯には数人の職人がおり、黙々と仕事に取り組む

吉田美統

模様の形に切り分けた金箔を器に貼り付けていく

明治33年(1900)から続く錦山窯の三代目、吉田美統。小松市高堂町の静かな住宅街に工房を構え、現在、子息を含め5人の職人を抱える。戦後の厳しい時代の陶芸修行から、技法「釉裏金彩」との出合い、そして現在の作風を確立するまでの道のりを聞いた。

吉田美統 吉田美統

昭和7年(1932)小松生まれ、本名吉田稔。53年一水会陶芸展一水会賞受賞、59年日本伝統工芸展奨励賞受賞、平成4年日本伝統工芸展高松宮記念賞受賞、7年日本陶磁協会賞受賞、12年日本伝統工芸展保持者賞受賞、13年重要無形文化財「釉裏金彩」技術保持者(人間国宝)に認定。

“庄三風”を見つめながらの陶芸修行

吉田美統は高校在学中、戦後に陶芸修行を始めた。戦時中は「職人さんは兵隊にとられ、燃料もなく非常に厳しい時代だった。物価の値上がりを防ぐため公定価格が制定され、国から許可が出たものだけを作っていました」と当時を振り返る。錦山窯は初代、二代と「金彩色絵」、いわゆる“庄三風”とよばれる作品を得意とする窯であった。美統が9歳の時に二代が早世したために、技術は窯の職人から習得した。

「コピーではなく新しいことをしたいという思いは修行時代からずっとくすぶっていた」。創造への欲求から、クラフト運動※へ傾倒した時代もあったという。

※クラフト運動:イギリスの思想家であり、デザイナーのウィリアム・モリスが主導したデザイン運動。手仕事に帰り、生活と芸術を統一することを主張した。

加藤土師萌の遺作展で進むべき道を確信する

転機が訪れたのは昭和43年。陶芸作家・加藤土師萌の遺作展だった。器胎に金箔を貼って模様を描き、その上から釉薬を塗って焼成する「釉裏金彩」という技法に衝撃を受け、「同じ金でもこんな斬新な表現があったのか」と息をのんだという。吉田はこれをきっかけに「釉裏金彩」の世界に入り、誰も手がけたことのない、花や蝶などをモチーフにした具象表現を追究する。

「1万分の3ミリ、1万分の5ミリという極薄の金箔を張りわけ、厚いものでははっきりとした金色、薄いものでは釉薬と溶け合うような金色を表現する。金箔を模様の形に切り分ける工程も簡単ではなかった。断裁の時に静電気が発生し、金箔が刃にくっついてしまう。いろいろなハサミを試していた際、知人の医師から医療用のものを進められ、その切れ味にたどりつきました」。手法確立の模索をはじめ、初出品まで約4年が経っていた。

新しいモチーフは天女が舞う幻想的な世界

吉田の作品には牡丹や芙蓉といった植物が多く描かれる。「先日も那谷寺でモチーフにしたい笹ユリに出合った」という。今後、挑戦したい題材を尋ねると「今、考えているのは天女を描いた幻想的な世界。人物の顔の奥行きを金箔と釉薬でうまく表現したい」とのこと。吉田美統の創造力から生み出される世界は、限りない可能性を秘めている。金をまとった天女が萌黄色の磁器に美しく舞う、その日が待ち遠しい。

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