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北前船主のふるさと

動く商社「買積船」で巨万の富

加賀エリア
加賀市橋立町
北前船の里資料館玄関

北前船の里資料館玄関

北前船の里資料館外観

北前船の里資料館外観

橋立の町並み

橋立の町並み

船主たちの豪勢な暮らしぶり

江戸中期から明治にかけて、橋立には北前船の船主たちが数多く住んでいました。北前船とは、当時、日本海と瀬戸内海を結び、大阪・北海道間を積荷を売買しながら回った「買積船」のことです。北海道からは昆布やニシンを、関西からは生活物資を運び、立ち寄る日本海側の港で商いを繰り返しながら船主たちは巨万の富を築きました。
単に物資を運ぶだけではなく、安く買った物を、高く売れるところで売りさばく。その価格差を巧みに操って、大阪から北海道に下って300両 逆の上りで700両、1航海1000両(今の価格に換算して1億円)稼いだと言われました。まさに、当時としては「流通の革命」、「動く商社」であったのです。北前船が陸路の鉄道の発達や情報網の整備で、その役目を終えた明治以降も、船主たちは銀行や商社のトップに座り、まさに日本の経済を動かしていたのです。
橋立町の一角に、高い木塀に囲まれて「北前船の里資料館」が建っています。全国でも珍しい北前船をテーマにした専門資料館で、旧船主酒谷長兵衛が明治11年(1878年)、財力にまかせて建てた邸宅を整備して一般に公開しています。建物の主要な柱の床下部分にはすべて銅板が巻かれ、30畳大広間の柱にはケヤキの8寸角、梁には巨大な松、座敷に通じる正面大戸には秋田杉の1枚板が使われています。邸内には船模型、船箪笥、引札、遠眼鏡、和磁石、各種古文書など200点余りの資料が展示され、往時の海運の様子が一目でわかります。  北前船の里資料館から3分ほど歩いたところにある蔵六園は船主邸の庭園を公開。この建物も北前船の経営で多額の富を築いた酒谷長蔵が所有していたもので昭和61年から一般公開されています。贅を尽くした各種の調度品と全国各地の銘石を配した庭園は一見に値します。

時間が許せば、橋立町から車で15分、大聖寺川河口の瀬越町も訪れたいところです。瀬越もまた、かつては北前船の船主たちがその栄華を競った港町です。一般公開はされていませんが川幅を増した大聖寺川に面して大家邸が建ち、近くの松林にある同家の墓地は普通の大名を凌ぐ大きさを誇り、訪れた人たちを驚かすほどです。

日本三大民謡のひとつに数えられる山中節は江差追分が起源であると伝えられる。日本海が荒れる冬の間、橋立や塩屋に住む北前船の船頭衆は近くの山中温泉へ湯治に出かけた。総湯(共同浴場)で松前や江差で習い覚えた追分を唄いながら旅の疲れを癒したが、それを外で聞いた「ゆかたべー」(浴衣娘=総湯入浴中の客の浴衣を持っている宿の仲居)が山中弁で訛って唄ったものだという。「送りましょうか 送られましょうか せめて二天の橋までも」。橋立と山中温泉は車で約30分。当時の船頭衆と「ゆかたべー」に思いを馳せるのも旅の楽しみのひとつだ。

北前船主のふるさと
住所 〒922-0136 加賀市橋立町地内
アクセス 北陸自動車道片山津I.C.から車で約15分。加賀温泉駅からタクシーで10分
キャンバス・北前船の里資料館から徒歩で1分